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東京地方裁判所 昭和57年(ワ)5138号 判決

原告

佐藤靖子

佐藤圭

佐藤綾子

右法定代理人親権者母

佐藤靖子

以上三名訴訟代理人

中村敏夫

山近道宣

被告

大東建設株式会社

右代表者

斎藤正一郎

右訴訟代理人

田村恭久

被告

上尾市

右代表者市長

友光恒

右訴訟代理人

関井金五郎

高篠包

萩原猛

主文

一  被告らは、各自、原告佐藤靖子に対し、金一一七六万三三六九円、原告佐藤圭および原告佐藤綾子に対し、それぞれ金五七七万六六八五円ならびにこれらの金員に対する昭和五七年四月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その四を原告らの連帯負担とし、その余を被告らの連帯負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事   実≪省略≫

理由

一本件事故の発生と鎭一郎の死亡

<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  鎭一郎は、昭和五六年一一月一八日午後一一時二〇分ごろ、上尾市本町一丁目九番三号所在のスナック「ぎたあら」を出て、歩いて同所から南へ約一二〇メートルのところに所在する焼鳥店「いこい」(本件現場からは西へ約三〇〇メートルのところにある。)に立ち寄つたが、同店がすでに閉店していたために、すぐに同店から立ち去つたこと、

2  本件現場には、当時、別紙図面記載のとおり、深さ〇・六四メートル、長さ一・五メートル、幅は、西側が一・一五メートル、東側が〇・六七メートルのL字形の穴(本件穴)が掘削されており、その穴の西側には、高さ〇・四メートル、東西の幅〇・七メートルの盛土があつたこと、

3  翌一九日朝、鎭一郎は、東側に向きうつぶせで、頭を本件穴の中に入れ、足は、本件穴の西側の盛土の上にある状態で死亡しているのが発見され、本件穴の北東に接する別紙図面記載のの地点(この部分は、地面から約二〇センチメートル掘り下げられ、本件穴がL字形に曲折している角にあたる。)には、幅約一センチメートル、長さ約七センチメートルの血痕が残されていたこと、

4  死体検案時、鎭一郎には、左頬に泥が付着していたほか、右下肢膝に長さ一センチメートル、幅九ミリメートルの擦過傷一個、前額部左眉上三センチの所に長さ八ミリメートル、幅三ミリメートルの擦過傷一個、口腔内左側に皮下出血をともなう咬傷一個、左頬に長さ二センチメートル、幅一センチメートルの圧迫痕一個があつたのみで、特に死に直結するとみられるような外傷がなく、死体検案担当医師により、同人は急性心不全によつて死亡したと認められたこと、

5  鎭一郎の昭和五六年一一月一九日午前八時ごろの直腸温は、摂氏二二度であつて、これから、死後経過時間を推定すると、鎭一郎は、前記「いこい」を立ち去つた直後ごろ(同月一八日午後一一時三〇分ごろ)死亡したものと推定されること、

6  鎭一郎には、本件穴に落ちてもがいたような形跡がなく、本件穴に落ちてから死亡するまでの間は、即死に近い時間であつたと推認されること、

以上の各事実を認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

これらの事実によれば、鎭一郎は、昭和五六年一一月一八日午後一一時三〇分ごろ、帰宅するため、本件市道を西から東に向かい、歩いて本件現場にさしかかつた際、本件穴の西側の盛土につまづいて前方に転倒し、本件穴の北東角に左顔面および左前額部を打ち、そのショックによる急性心不全によつて間もなく死亡した事実を推認することができる。

被告らは、鎭一郎が本件穴に転落したことと同人の死亡との間には因果関係がないと主張するけれども、前記認定のとおり、鎭一郎の左顔面および左前額部の傷ならびに本件穴の北東角の血痕からすれば、同人が本件穴に転落してその北東角に左顔面および左前額部を打つたことは明らかであり、しかも、鎭一郎は、本件穴に転落した後、ほとんど即死に近い状態で死亡したのであるから、他の死亡原因にも相当の可能性がある事実が認められないかぎり、本件穴に転落したことと鎭一郎の死亡との間には、因果関係があると認めるのが相当である。

もつとも、<証拠>によれば、本件事故当時、鎭一郎は、飲酒のため相当の酩酊状態にあり、また気温もおよそ摂氏四度と低かつたことが認められるけれども、これらの事実自体が急性心不全をひきおこす原因となつたものとは認められないから、右事実は、因果関係についての前記認定判断を左右するものではない。

また、証人武重秀雄は、死体検案時の所見からは、鎭一郎が転落のショックで死亡したものとは考えられない旨証言しているけれども、他方で前記認定のように、鎭一郎が本件穴に転倒して、その北東角で左顔面から左前額部を打ち、その直後に死亡している事実があり、また、<証拠>によれば、外傷性の一次性ショックは、わずかの外力によつて起こることもあり、外力が加えられた痕跡は、注意して調べないとわからないような場合も多く、この外傷性の一次性ショックによつて心臓の活動が低下して死亡する例もあることが認められるから、死体検案時の所見のみに基づいて意見を述べている前記証人武重秀雄の証言は、にわかに採用することができず、他に因果関係についての前記認定を左右する証拠はない。

二被告大東建設の責任について

<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  被告大東建設は、被告上尾市から本件現場周辺の下水道管渠築造工事を請け負つて、これを実施中、本件穴を掘削したこと(この事実は、原告らと被告大東建設との間では争いがない。)、

2  被告大東建設は、いずれもその従業員である坂元良隆および萩原健三の両名を現場監督として、下請作業員一〇名を指揮監督させながら、本件現場における工事を施工させていたところ、右両名は、昭和五六年一一月一八日午後五時ごろ、同日の作業を終了するにあたり、本件穴を埋め戻すことなく、その東側と西側に、それぞれ高さ〇・四メートルの盛土を残したまま、単に、本件穴の北側に二脚、南側に一脚のバリケード(高さ〇・七メートル)をそれぞれ設置し、本件穴の東側一・〇メートルの地点に発電機一台を残置したのみで、本件穴の西側には、なんら、歩行者の接近を防止する措置や、夜間照明等により本件穴の存在を知らせる措置あるいは、本件穴を塞いで、転落を防止する措置をとることなく、本件穴を開口させたまま、同日の作業を終了したこと、

3  本件穴の西側一〇・八メートルの区間は、本件市道の中央部分において、アスファルト舗装が一・一五メートルないし二メートルの幅ではがされていたものの、工事によつて掘られた穴は、夜間は埋め戻しがされていたため、本件市道の幅員三・三メートルの全部が通行可能となつていたこと、

4  本件現場周辺は住宅地であり、しかも、本件現場を明るく照らすことのできる街路灯のような設備もなかつたこと、

5  鎭一郎は、昭和五六年一一月一八日午後一一時三〇分ごろ、本件市道を西から東に向けて歩行中、本件現場にさしかかつた際、前記認定のとおりの事故が発生して死亡したこと、

6  本件事故当日は晴天であり、月出は午後一一時〇三分であつたから、その約二七分後の本件事故当時は月が出てはいたが、月の位置はいまだ東南東の方角の低い空にあつたはずであり、しかも、本件現場の東南東には本件市道に面して佐藤りつ方居宅があつたため、月明かりは、直接本件現場を照らしてはいなかつたし、午後一一時以降は、本件現場周辺の住宅も消灯し、近くに街路灯もないため、本件現場周辺は、相当に暗かつたと推認されること、

7  もつとも、右と同様の明るさの下に本件現場で実施された実況見分において、本件事故当日と同じバリケードを置いたところ、そのバリケードの手前四・五メートルでこれを視認することができたこと、しかし、本件現場を西から東に通行する者にとつては、本件穴の左右にあるバリケードを視認することが可能であり、したがつて注意して歩行していれば、バリケードの存在からなんらかの危険を推知することが可能であつたとしても、本件穴の手前には、なんらバリケード等の接近防止措置がとられていなかつたから、照明の少ない夜間であれば、本件市道上に同じ土で作られた埋め戻し部分と盛土とを識別し、さらに本件穴の存在に気づいて危険を認識することは、相当困難であつたと推認され、したがつて、本件現場を西から東に向けて通行する者に対する転落等の事故防止措置としては、右バリケードのみでは不十分であつたと認められること、

8  他方で、本件事故当時、本件現場の西側約四二メートルのところにある交差点から本件市道に入る地点には、黄色回転灯や看板によつて、工事が行われていることを告知する措置がとられており、鎭一郎は、右交差点を通過して本件現場に至つたのであるから、本件市道を通行する際、工事中であることを知つていたものと認められるが、同人は、本件事故の約一〇分前には泥酔状態にあつて、歩行中に駐車中の自動車にぶつかつて転倒するほど注意力が散漫になり、かつ、自己の行動を制御する能力を失つており、そのような泥酔状態にあつたために、鎭一郎は、本件穴やその南北にあつたバリケード、さらには、手前にあつた盛土に気がつかずに、盛土に足をとられてつまずき、本件穴の中に転倒したものと推認されること、

以上の各事実を認めることができ、この認定を左右する証拠はない。

これらの事実によれば、被告大東建設の従業員である坂元良隆および萩原建三は、同被告の本件現場における工事を施工するにあたり本件穴を掘削したものであるが、本件現場周辺は住宅地であつて、夜間、歩行者が通行すること(歩行者のうちには、相当程度飲酒酩酊して注意力の減弱している者がありうることも当然予想される。)が予見され、しかも、本件現場周辺は夜間暗くなるため、本件市道の中央部分を西から東に向かつて通行して来る歩行者か、本件穴の存在に気づかずに、その西側の盛土につまづいたり、本件穴に転落したりする事故が起こる危険性を認識することができたにもかかわらず、本件穴の西側にバリケードを設置するなどして歩行者の接近を防止し、あるいは、夜間照明等を施して危険を知らせるなどして、事故を回避する措置をとらずに、夜間、本件穴を開口させたまま、その西側に盛土をしただけで漫然これを放置した過失があるというべきである。

したがつて、被告大東建設は、民法七一五条一項により、鎭一郎の死亡によつて生じた損害を賠償する義務がある。

三被告上尾市の責任について

被告上尾市が本件市道を管理していた事実については、原告らと被告上尾市との間で争いがない。

そして、前記認定のとおり、本件市道上に掘削された本件穴が前記認定のような危険な状態のまま、昭和五六年一一月一八日午後五時ごろから午後一一時三〇分ごろまで、約六時間三〇分もの間放置されていたのであるから、被告上尾市の本件市道の管理には、瑕疵があつたというべきである。そして、鎭一郎は、本件穴の手前の盛土につまづいて本件穴に転落して死亡したのであるから、鎭一郎の死亡と右の本件市道の管理の瑕疵との間には相当因果関係があり、したがつて、被告上尾市は、国家賠償法二条一項により、鎭一郎の死亡によつて生じた損害を賠償する義務がある。

なお、被告上尾市が被告大東建設に本件工事を請け負わせ、被告大東建設がこれを実施中、右請負工事についての被告大東建設の従業員の過失によつて鎭一郎が死亡したことは前記認定のとおりであるけれども、仮に民法七一六条によれば、被告上尾市が注文者として責任を負わない場合であつても、国家賠償法二条一項による責任は、これとは別個独立に負担すべきものであるから、右請負の事実が被告上尾市の国家賠償責任の成否を左右するものではない。

四過失相殺

前記認定のとおり、鎭一郎は、本件現場周辺が工事中であることを知つて本件市道を通行していたのであるから、本件現場を歩行するにあたつては、道路前方の安全を確認して歩行すべき注意義務があるのに、泥酔状態に陥つていたために、右注意を怠り、本件穴の存在や、その南北に設置されたバリケードの存在に気がつかないまま歩行した過失があり、この鎭一郎の過失の割合は、七割とするのが相当である。

五損害

1  鎭一郎の逸失利益 五一〇二万二四六四円

<証拠>を総合すると、鎭一郎は、昭和一三年九月一日生まれであり、芝浦工業大学附属高校を卒業した後、昭和四四年一〇月一六日から大気社に勤務し、死亡当時、同会社から、基本給一か月二八万二七〇〇円(うち、年齢給が一五万一二〇〇円、職能給が一二万七九〇〇円、勤続給が三六〇〇円)を支給されていたほか、資格手当三万九〇〇〇円、家族手当一万二〇〇〇円をそれぞれ支給されていたこと、大気社においては、平均して、年間で基本給の六か月分の賞与が支給されていたこと、家族手当として、妻については一万円、子供については、一八歳に達するまで一人につき一〇〇〇円がそれぞれ支給される旨の給与規定があること、鎭一郎の長男圭は、昭和三九年一一月一六日生まれであり、長女綾子は昭和四六年四月二五日生まれであること、年齢給については、昭和五六年四月に定期昇給によつて二七〇〇円増額された実績があり、勤続給についても、勤続一二年で三六〇〇円(勤続一年につき三〇〇円)が支給されていたから、鎭一郎は、本件事故後も大気社に勤続していれば、毎年少なくとも一か月あたり三〇〇〇円程度基本給が上昇したであろうこと(ただし、職能給が上昇することについては、これを認めるに足りる証拠がない。)大気社では、平均的な勤務成績と勤務状況であれば、通常、四三歳に達した後に課長待遇として資格手当四万八〇〇〇円が支給され、四七歳に達した後に次長待遇として資格手当五万七〇〇〇円が支給され、五八歳に達した後に部長待遇として資格手当六万六〇〇〇円が支給されていること、鎭一郎は、大気社で通常の勤務状況と勤務成績であつたこと、大気社では、五五歳に達した日をもつて停年退職するものと定められているが、停年退職後の再雇用の制度によつて、通常の健康状態であれば、再雇用されて、六〇歳に達するまで、定年退職時の年収(ただし、家族手当を除く。)の約七割の年収を得られること、鎭一郎についても、本件事故当時まで、仕事の妨げとなるような病気はなく、定年退職時に再雇用される蓋然性が高かつたこと、鎭一郎は、六〇歳に達してから六七歳に達するまでの間は、昭和五八年賃金センサス第一巻第一表産業計企業規模計旧中・新高卒の男子労働者の平均賃金を下回らない収入を得たであろうこと(ただし、六〇歳から六四歳までは、年収三二一万五七〇〇円、六五歳からは、年収二七七万六二〇〇円)、鎭一郎は、大気社を停年退職する際、退職時の基本給の二九・八四か月分に相当する停年退職年金(一〇〇円未満切り上げ)の受給資格を取得し、これが、退職日以後一〇年間に分割して支給されるほか、右停年退職年金総額の一割に相当する特別慰労金が停年退職時に支給されること、以上の各事実を認めることができる。

なお<証拠>によれば、鎭一郎は、そううつ病およびアルコール嗜癖により、昭和五三年二月二五日から昭和五六年一〇月一六日(本件事故の一か月前)までの間、武蔵野病院で通院治療を受けていたが、その間、一か月に一度ぐらいの頻度でうつ状態に陥り、仕事が手につかないなどの症状を呈したことが認められるけれども、他方で<証拠>によれば、右病気の症状が、具体的に、鎭一郎の勤務状況や勤務成績を左右するまでには至つていなかつたことが認められるから、右事実は、鎭一郎の逸失利益についての前記認定を左右するに足るものではなく、他にこの認定を左右する証拠はない。

したがつて、これらの収入は、鎭一郎が本件事故のため死亡したことによつて失つた利益と認められるから、これらの収入から、ライプニッツ方式によつて、年五分の割合による中間利息を控除して、昭和五七年三月末現在の価額を算定すると次のとおりとなる(ただし、<証拠>によれば、停年退職年金は、停年後再雇用された場合においては、再雇用の終了した時から支給されるものであるが、この場合、受給資格を得た日から再雇用を解かれた日までの間、右年金に対して、年複利による利息が付されることが認められるから、中間利息を控除するにあたつては、停年退職時から一〇年間にわたつて年金を取得するものとして算定するのが相当である。)。

(一)  昭和五六年一二月(死亡の翌月)から昭和六八年八月(停年退職日の前日)まで

五四一五万二四六一円(ただし、別紙逸失利益計算書(2)のとおり)

(二)  昭和六八年九月(停年退職日)から昭和七三年八月(六〇歳に達する日の前日)まで

一一四七万二四〇八円

(6,594,600円−10,000円/月×12月)×0.7×(10.8377−8.3064)=11,472,408円

(三)  昭和七三年九月から昭和八〇年八月(六七歳に達する日の前日)まで

八二三万〇八五五円

3,215,700円×(12.8211−10.8377)+2,776,200円×(13.4885−12.8211)=8,230,855円

(四)  停年退職年金 三三六万四一〇三円

318,700円×29.84=9,510,008円≒9,510,100円

9,510,100円÷10×(14.3751−10.8377)=3,364,103円

(五)  特別慰労金 五二万九五二二円

9,510,100円÷10×0.5568=529,522円

(六)  生活費控除

(一)ないし(五)の合計七七七四万九三四九円から、生活費として三割を控除すると五四四二万四五四四円となる。

(七)  遺族一時金等の控除

<証拠>によれば、原告らは、大気社から、鎭一郎の死亡時の基本給の一〇・九四か月分(一〇〇円未満切り上げ)に相当する遺族一時金および右遺族一時金の一割に相当する特別慰労金の支給を受けたことが認められるから、これを控除すると、鎭一郎の逸失利益は、五一〇二万二四六四円となる。

① 遺族一時金 三〇九万二八〇〇円

282,700円×10.94=3,092,738円≒3,092,800円

② 特別慰労金 三〇万九二八〇円

3,092,800円÷10=309,280円

54,424,544円−3,092,800円−309,280円=51,022,464円

2 過失相殺

前記認定判断のとおり、鎭一郎の過失割合は、七割とするのが相当であるから、前記1で認定した損害額合計五一〇二万二四六四円から、七割を過失相殺により控除すると、被告らの賠償すべき鎭一郎の損害は、一五三〇万六七三九円となる。

3 原告らの相続

原告靖子が、鎭一郎の妻であり、原告圭および同綾子が、鎭一郎の子であることは各当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、鎭一郎には他に相続人がないことが認められるから、原告靖子は二分の一、原告圭および同綾子は各四分の一の割合で、それぞれ鎭一郎の損害賠償請求権を相続したことになる。

したがつて、原告らの相続分は、次のとおりとなる。

原告靖子 七六五万三三六九円

原告圭 三八二万六六八五円

原告綾子 三八二万六六八五円

4 葬儀費用 原告靖子につき、二一万円

弁護の全趣旨によれば、原告靖子が、鎭一郎の葬儀を営み、少なくとも七〇万円の葬儀費用を支出したことが認められるから、前記認定の鎭一郎の過失を考慮して、七割を過失相殺すると、被告らは、原告靖子が葬儀費用を支出したことによつて被つた損害のうち、二一万円を賠償すべきことになる。

5 原告らの慰謝科

<証拠>によれば、鎭一郎は、昭和一三年九月一日生まれで死亡当時四三歳であり、一家の支柱として働いていたこと、原告靖子は、昭和三八年七月一六日に鎭一郎と婚姻し、同人との間に、一男(原告圭、昭和三九年一一月一六日生まれ)一女(原告綾子、昭和四六年四月二五日生まれ)をもうけ、主婦として、円満な家庭を営んでいたこと、本件事故当時、原告圭は、一七歳で独身であり、ガソリンスタンド店員として働いていたこと、原告綾子は一〇歳(小学校四年生)であつたことが認められ、したがつて、本件事故によつて突然一家の支柱である夫または父親を失うに至つた原告らの精神的苦痛は重大であると認められるが、他方で、前記認定のように鎭一郎にも本件事故の発生について相当な過失があることその他諸般の事情を考慮すると、鎭一郎が死亡したことによつて被つた原告らの精神的苦痛に対する慰謝料としては、原告靖子について三〇〇万円、原告圭および同綾子についてそれぞれ一五〇万円と認めるのが相当である。

6 弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、原告らが本件訴訟を原告ら訴訟代理人に委任したことが認められ、本件事案の内容、訴訟の経過、認容額等に照らしてみると、原告らが、本件事故と相当因果関係のある損害として賠償を請求することのできる弁護士費用は、原告靖子について九〇万円、原告圭および同綾子についてそれぞれ四五万円と認めるのが相当である。

六結論

以上説示したところによれば、被告らは、各自、原告靖子に対しては、一一七六万三三六九円、原告圭および同綾子に対しては、それぞれ五七七万六六八五円ならびにこれらの金員に対する損害発生の後である昭和五七年四月一日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

なお、原告らは、弁護士費用についての遅延損害金を請求していないけれども、弁護士費用の損害の賠償も、訴訟物としては、他の損害の賠償と同一であり、いずれも本件事故の発生と同時に履行遅滞に陥るものであるうえ、当裁判所の認容する損害額は、弁護士費用を含めても、原告らの主張する弁護士費用を除いた損害額にも満たないから、当裁判所は、原告らの請求の範囲内で、弁護士費用についての遅延損害金の支払いについても認容することとする。

よつて、原告らの請求は、以上説示した限度において理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項但書を、仮執行の宣言について同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(野田 宏 鈴木健太 小林久起)

逸失利益計算書(1)(2)<省略>

図面<省略>

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